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知恵は知識ではない【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第31回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第31回

 

【大人も遊ぶことが仕事になる】

 

 たとえば、原子力発電の議論をするときに必要なのは、核分裂の原理、発電の仕組み、そして放射線とは何か、その測定方法、という物理的な理解である。そういった理解なしに議論は難しい。感染症の問題を議論したいのなら、ウィルスやワクチンの原理を理解していなければならない。知るべきことは、物理や化学、さらに数学的な理屈や理論だ。それらは、ほんの少しの数式や言葉で表現できるものであり、一度理解したら、忘れることはまずないほど整然としている。広範囲に適用でき、計算でき、そこから未来の確率的な予測が可能となる。

 未来がどうなるのかは、確率的にしか評価できない。数字を比較して判断するしかない。「わからないけれど、だいたい予測できる」ものである。「絶対にこうなる」と断言はできない。方向性を決める議論とは、数字の比較なのである。

 具体的で詳しい情報を覚えていることは、これからの時代では価値がない。必要なのは、それらを原理原則に従って吟味し、展開し、計算すること。ここまでは、コンピュータが担当できる。そして、人間はその結果を見て、なにかを思いつく役なのである。

 発想が生まれると、新しいものが作られ、それをさらにシェイプアップして、しばらくは生産が続けられ、経済が回る。しかし、いずれは古くなる。別のどこかで生まれたより新しいものに代わられる運命にある。経済を長く回し続けたいのなら、ときどき発想して新しさを思いつく才能が必要だ。

 そういう人材が求められるようになる。そして、それができない人たちは、仕事をしなくても良いグループになるだろう。何をすれば良いのか、というと、遊ぶことが仕事になる。

 「子供は、遊ぶことが仕事だ」といい続けてきた大人は皆、自分たちにそれをいい聞かせるしかない。そうはなりたくないという人は、知識を詰め込む勉強をやめて、毎日なにかを作ることをおすすめする。

 詩を書く、絵を描く、作曲する、ガーデニング、DIY、機械の整備、家具の修理、ペンキ塗り、部屋の模様替え、野菜作り、ペットの世話、ゲーム、ギャンブル、観劇、芸術鑑賞、旅行、投資、恋愛、子育て、介護、ボランティア、エトセトラ。まだまだ沢山の「仕事」が残されている。儲からないものばかりだが、これからは趣味や遊びが生き甲斐になる。そしてもしかしたら、子供のように遊び尽くした人たちの中から、新しい発想ができる人材が育つかもしれない。

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 世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?

 森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。

 〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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